忠臣蔵の不思議? ― 2006/12/21 00:31

義士祭(2002年)
日付は前後しますが、12月14日は赤穂浪士の討ち入りで有名な義士祭の日。
いつも、12月14日には赤穂に行きたいと思いつつ、仕事の都合で、ここ4年ほど断念している。
今年も残念ながら赤穂に行くことはできなかった・・・

東京に出向く際、品川に行く時間があれば、必ず泉岳寺に行くほど忠臣蔵が好きな人である。
やはり、忠臣蔵こそ日本の心!であると私は思っている。

最後に義士祭に行ったのは、2002年、本懐成就300周年の記念義士祭だった。
ちなみに、討ち入りは1702年(元禄15年)12月14日なのだが、厳密には15日未明となるようだ。

今でも不思議に思うのは、当時の義士祭での祝電披露。
浅野家の末裔から大石家に「本懐成就300年、おめでとうございます」と!?
浅野家末裔なら本懐成就を祝うのではなく、先祖の仇討ちに対する御礼を述べるべきでは・・・と思うのは私だけだったのだろうか?

また、赤穂に行くには播州赤穂駅を利用する。
何故、播州なのか?
通常、同じ駅名が複数存在する場合、区別するために旧国名を付けることが一般化している。
しかし、全国に赤穂なんて駅は存在するのだろうか・・・それに、赤穂の旧国名は播磨。普通なら播磨赤穂だろう。
播州赤穂という単語が忠臣蔵の代名詞となった証拠か?

こんな些細な疑問も多々ある忠臣蔵。
また、美化され、真実とはいささか異なる忠臣蔵。
文献から真実と美化された伝説との比較することの楽しさ、これが私の忠臣蔵を好む理由の一つにもなっている。

~ 四十七人の刺客(監督:市川昆氏)を鑑賞しつつ ~

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